肉食抑制の理由について
問…肉食が人体および社会や環境に与える問題点を指摘し、人類にとって肉食を抑制することが、現代に宗教的良心を生かす道であることを説明せよ。
(『今こそ自然から学ぼう』179-205頁/副総裁先生「ブログ」2006年7月5日・10日・13日・14日・15日)
【ポイント】
*栄養としては肉食は無くても生きられること。古来からの宗教には、「殺すなかれ」という戒めがあること。牛肉を得るために、沢山の穀物を与えなければならないので、森林を伐採する必要があり、環境破壊につながること。同種の穀物が多く栽培されるので生物多様性が破壊されること、などである。
私たちは神の子として、愛深い倫理的生活をする必要がある。それには、肉食は不要である。
【キーワード】
①生命多様性 ②森林伐採 ③他を冒さない生活
【解説】
*肉食の問題に合わせて、地産地消の考え方がでてきている。外国から輸入すると、二酸化炭素排出が多くなるからである。
*他を冒さない生活が宗教的かつ倫理的生活である。
*「いのちの食べ方」という記録映画もある。参考としてご鑑賞ください。
*ベジタリアンという言葉にも、色々な段階のベジタリアンがある。
【解答例】
我々の「肉食」の嗜好と食肉生産の方法は、「人間らしい生き方」を犠牲にして成り立っている。
なぜなら人間は、動物を殺すことに抵抗を感じる心をもち、それは、動物その他の生物の命をいとおしむ心から来るもので、人間でなければ持てない高度な認識作用にもとづくものである。つまり、他者への感情移入能力がすぐれて人間的な心の特徴なのだ。だから、屠殺場へ曳かれていくウシが恐怖で小便を漏らすという事実を「無視する」のではなく「追体験する」ことが人間らしい生き方と言える。
我々は「単なる消費者だから」という言い訳で「知らずに犯す罪」の大きさに目をつむってはならない。食肉生産の現場に“動物残虐物語”が満ち満ちている―「正しい知識」を普及する必要がある。食肉の色や価格のために、体を舐めることも出来ない飼育方法、水も与えず特殊ミルクのみ、多量の抗生物質の投与、暗闇で鎖につながれたまま・・・・・等々「どうせ殺すから、どんな方法で飼育してもよかろう」と考えることは出来ないはずだ。たとえ、食肉産業や食品メーカーに好まれなくとも、事実を糊塗したり、美しく飾り立てたりすることは、被害を―ひいては人類全体の罪を拡大することにつながる。
その一断面がイギリスでの悲劇―口蹄疫という伝染病の感染拡大を防ぐために、健康な家畜を大量に含む24万頭が実際に殺されたという。
畜産品生産のために、広い土地に数種の動物を大量にまとめて飼い、生物多様性の少ない環境を作ったことでウイルスが急速に増殖することとなり「知恵」のあるはずの人間が「愛」のない行為を無理やり遂行したということをみせつけられた事件である。
さらにエコロジーの視点からも肉食(特に牛肉)を避けるべき理由がある。それは現在、家畜、家禽、養殖魚の飼料原料に人間と同じ穀物が大量に与えられていることである。
具体的には、動物の体重を1キロ増やすのに、ニワトリは2キロ、ブタは4キロ弱、ウシは7キロの飼料穀物を必要とする。
そしてその飼料の多くは発展途上国から輸入され、先進国での牛肉の需要が増えれば増えるほど途上国での自国民用の畑地が狭まり、森林伐採が行われることになる。
大量の家畜の飼育は、大量の糞尿の廃棄問題、水質汚染、大気汚染という環境汚染問題を生じさせる。また、家畜の腹から出るメタンガスの量は、地球上の全発生量の二割を占めるという試算もあり、二酸化炭素以上の温室効果をもたらす。最近の読売新聞の記事には(仮想水の量として)牛肉を使った食事メニューが大量の水を必要とすることをとりあげていた。肉食は地球資源の浪費であり、飢餓拡大や予測できない自然改変につながる。それ故に、牛肉の消費を抑えるだけで人類の食糧問題の大部分が解決できるかもしれない。私達は日本の伝統である和食の優れている点にも改めて想いを馳せつつ、理性や良心の判断で欲望を調節し、肉食忌避という宗教的良心を生かす道を選択したいものである。 以上
*写真は、「庭木」です。何でしょうか?H、N
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