「足るを知る」草の根運動の原点となる御文章2点
①『小閑雑感』(平成19年11月22日のブログ)からである。”「足るを知る」という生き方”の現代的な意義のご教示である。
私は、今日の地球環境問題の根っ子には現在の私たちの生活の中に、人間至上主義、とりわけ人間の欲望至上主義がある、と思います。人間は「神の子」ですから、人間が互いを尊ぶことはいいのです。しかし、それは人間の「欲望」を尊ぶことではなく、その奥にある「神性・仏性」を尊ぶのでなくてはなりません。しかし今日では、広告・宣伝活動によって「与えられていること」ではなく「欠けていること」を強調することで欲望を喚起し、市場拡大をはかる。製品の寿命を短くし、モデルチェンジを頻繁に行う。これでは、地球がいくらあっても足りないでしょう。昔から東洋では、「足を知る」という生き方が称揚されてきました。(中略)
地球温暖化の進む二十一世紀にあっては、宗教的な意味をもった新しい”足るを知る”運動が、上から押しつけられるのではなく、草の根的に盛り上がっていく必要があります。
②さらに、「足るを知る」という言葉は、『老子を現代に生かす』の中の第33章、第44章、第46章にご解説が載せられている。次は、第44章のご紹介である。この聖典は、絶版になってはいるが、どうしても確認したいという方は、お申し出下さい。地方講師研究会にてご紹介いたします。
多く蔵(オサ)むれば必ず厚く亡(ウシナ)う。足ることを知れば辱められず。止まることを知れば、殆(アヤウ)からず、以て長久なる可(ベ)し。
この老子の原文についてのご教示は次の御文章である。
何でも度を過したら亡びのもとである。足ることを知り、止まるところを知らなければならぬ。何でも多くあれば、得だと思っている人があるかも知れぬが、物は多くなればなるほど生命の自由を縛るのである。丁度それは飛行機の重量が重くなればなる程、速力が出ず、長距離飛行に耐えないようなものだ。多ければ厚く亡う。
足ることを知らないことを貧(トン)と云う。仏教では貧・ジン(目扁に愼の右の字をつける。漢字変換ができない。悪しからず)・痴を三毒と云って、人間を罪に陥れる最大の毒物であると云われているが、その中でも『貧』すなわちムサボリを第一に置いている。それほど貪りは悪徳である。一度貪りはじめると、塩水で渇を医(イヤ)すがように飲まずにはいられないし、飲めば飲むほど咽喉(ノド)渇きを覚えるのである。そう云うように欲の深い者は、多く持ちながら、『欲しい、欲しい』と思っているから、心はいつまでも餓鬼道で貧乏である。そうして欲張って求め求めしている間に、辱(ハジ)も外聞も忘れて了(シマ)うのである。(同書、158~159頁。原文は旧漢字・旧仮名遣い)
地方講師の皆様!島根県に於いて、組織の血液となって、「足るを知る」運動を草の根的に盛り上げて参りましょう。
*写真は、「ソファーの上の自然」です。H、N
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)




最近のコメント