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写経について

地方講師受験のための資料作成委員会
委員 岩崎芳久
〝写     経〟
テキスト『小閑雑感Part7』Kiki
  ※ポイント
    (1)日本の「写経」の歴史
      古来、お経を書き写す「写経」は最も簡単な仏道修行であった
   平安時代ごろから、修行のためや、病気平癒、先祖供養などの祈りや願いを目的にした個人的写
  経が始められたようです。
    (2)聖経「甘露の法雨」
  (3)写経はどうして功徳があるか
   谷口雅春先生著 『光の泉』昭和47年10月号より
  “人間は神の子であり、自分の内に無限の力があるのである”という意味のことが説かれてある経
  文を書写すのですから、それを書写しているうちに心が落着いてくる。
   人間は心が落着けば、自己の内に宿っている“神の力”が出てくるということになるわけです。
  (4)写経のこころ
      谷口輝子先生著『人生の光と影』頁263より
   写経する時は、先ず室内を整頓し、香をたいて端正に坐り、心を鎮めて一字一字を丁寧に書写し
  て行くのである。弘法大師の教えによると、一字一字がそのままに三摩耶まんだらであって、仏様の
  お姿と変りがないのである。すなわち、仏を一体、一体と刻んでゆく気持で写経するこ
  とが大切である。
    (5)写経の心得

    ※解 説
    (1)日本の「写経」の歴史
   わが国での写経の歴史は、日本書紀に、「書生を集めて、始めて一切経を川原寺に写す。」とあり、
  その後、聖武天皇のころ、写経司 を任命し、これら専門のものが書写して収蔵し、また、諸国の国分
   寺等に配布されました。
   それがおそらく平安時代ごろから、修行のためや、病気平癒、先祖供養などの祈りや願いを目的
  にした個人的写経が始められたようです。
   このように写経には長い歴史があり、多くの人の信仰生活に心のやすらぎを与える糧となってき
  ました。それは身と心を調えて行なう写経のこころが、そのまま仏さまの教えの心に通うからにほ
  かならないのです。そしてこの写経の心は、時代を越えて、道を求むる人にとって大きな心の支え
  となりました。
   現代に生きる私達は、写経によって静かに落ち着いた時間を大切にするとともに、祈りや願いを
  生活の中に活かしていく一つの証としたいものです。

    (2)聖経「甘露の法雨」
   聖経「甘露の法雨」は小さくは個人の病いを癒し、大きくは国家の大病・世界の大病をも癒すこ
  とができるのである。

  (3)写経はどうして功徳があるか
   (谷口雅春先生著『光の泉』昭和47年10月号「写経はどうして功徳があるか」より)
   写経というものは、生長の家の『甘露の法雨』というお経があるのですが、静かに心を整えて毛筆
  で写すのであります。そのお経には何が書いてあるかというと、簡略して言うならば、“人間は本来、
  神の子であり、無限の力が宿っているのである。肉体は単なる仮相であって、その肉体の奥に、物質
  の奧に、霊妙きわまりなき神の生命なるものが宿っておって、それは無限力である”ということが書
  かれてあるわけです。(中略)“人間は神の子であり、自分の内に無限の力があるのである”という
  意味のことが説かれてある経文を書写すのですから、それを書写しているうちに心が落着いてくる。
  人間は心が落着けば、自己の内に宿っている“神の力”が出てくるということになるわけです。
  (中略)じーっと心が落着いて、吾々の心の潜在意識の深い深い層――深層へ入って往くと、そ
  こは大生命の潜在意識――即ち、宇宙大生命の智慧――に通じているわけですから、そこから不思議
  な智慧が湧き出てくるのです。いろんな発明が生み出されて来るのも、或いは深い哲学的な論理が発
  見されるのも、或は湯川秀樹教授が中間子理論を思いついたというのもその心の深層に通ずる神の智
  慧が動き出して来たのですね。湯川博士はなんでも夕食後、縁側に出て椅子にノンビリとして、心が
  本当に落着いておられた時にフッと思い浮かんだのが中間子理論だということを聞きましたが、誰で
  も、そういうように、心が深く落着いて来た時に、吾々の潜在意識の深い層は神様の智慧と通じてい
  るから、その無限の智慧が顕て来るということになるのであります。
   これは、やはり“祈る”という事が必要であります。“祈る”ということは、祈ったら神様が
 “彼奴は祈っているから助けてやれ”“彼奴は祈らんから助けてやるな”というような、そうい
  う依怙贔屓な神の配慮を要求することではない。神は吾々の潜在意識の奥底に宿っておられて、われ
  われ自身の心が祈りによって本当に落着いて静かになり、その心の波長が神様の啓示に触れることが
  できる境地に這入って行くために祈るのであります。
   また、“写経”といって、お経を写すのでも、やっぱり同じことであります。一字一字、感謝の念
  に心を集中しながら余念なく真理の言葉を写しながら、その深いところに這入って往くと、“人間・
  神の子、本来無限力”という文字と自分のいのちとが一体になり、人間無限力の意味が潜在意識の底
  の底まで自覚されるから、すべてがよくなるということになるわけであります。現象の御利益の前に
  は“心”の自覚という根本問題が大切なのであります。

  (4)写経のこころ
     (谷口輝子先生著『人生の光と影』頁263より)
   インドの文字で書かれた経典が中国へ渡って漢文に翻訳せられ、現在のような印刷技術がない時代
  だったので、すべて人の手で写経されたのであったが、仏教が中国から日本へ渡来すると、日本でも
  写経が盛んになり、やがてこの印刷の代りにしていた写経の方法が「祈りのかたち」として写経祈願
  とされたのは、平安朝のはじめ弘法大師によるそうである。
   弘仁九年の春、天下に悪病が大流行した。千百五十年も昔のことだから、防疫の方法もなく見る見
  る日本中に広がり、死屍累々という悲惨な状態であったので、時の帝、嵯峨天皇は弘法大師を召して、
  悪病退散の方法を御下問になった。大師は、「陛下御みずから般若心経を御浄写なされ、私は陛下の
  驥尾(きび)に伏して御祈念申し上げます」と奉答したのであった。嵯峨天皇は一字三礼のまことを
  つくして御写経なされたところ、「未だ結願の言葉を吐かざるに蘇生の輩途にたたずむ、夜変じて     日光赫々たり」と、その霊験の素晴らしさを般若心経秘鍵の奥書きに書かれている。
   この嵯峨天皇御宸筆の般若心経は、現在も大覚寺に祀られている。心をこめて一字ずつ三礼しなが
  ら御書きになったというこの写経が、恐らく日本における「写経祈願」の最初であり、その代表的な
  ものと言うことが出来る。写経する時は、先ず室内を整頓し、香をたいて端正に坐り、心を鎮めて一
  字一字を丁寧に書写して行くのである。弘法大師の教えによると、一字一字がそのままに三摩耶まんだ
  らであって、仏様のお姿と変りがないのである。すなわち、仏を一体、一体と刻んでゆく気持で写経す
  ることが大切である。静かに、浄らかな気持で仏様を創りあげて供養してゆくのだから、明るく、おだ
  やか、無心の心になることが出来るのである。

  宇治別格本山に於ける写経末一稲荷神社社殿地鎮祭祝詞より)
   稲荷大神の導きの霊光を拝してより此の地を浄地と祝ひ斎めて大御社を建立し生長の家の大神を招き
    奉り宝蔵神社と称え奉る 生長の家信徒たちの祖先親族縁族の守護と御導きとを請ひ願ひ奉り四時聖
    経『甘露の法雨』を誦する声境内に満つ 供養の為の読経にして報ひを求めざる浄き諸人
  の純真天に通じ 天啓ありて 龍宮海に通ずる“無”の門関として入龍宮幽斎殿建立せらるこの御殿
  に坐して願へば万づの願い叶はざるなく 龍宮の万宝 天上の億宝 悉く祈願の合掌の中にあり静か
    に掌を机上にしては報恩供養の写経をなす

    (5)写経の心得
   1,写経は、その時の心が最も大切ですから、心を浄め、室内を整えてから始めて下さい。
   2,奉納されます写経は毛筆にて謹書して下さい。
   3,文字の上手、下手は問題ではありません。一字一字に感謝の心をこめて謹書して下さい。

    (6)その他-体験例-
    大聖師御講義『続々甘露の法雨』頁435より
        写経の功徳で胃・肝臓・膵臓ガン消える
        北九州市若松区 林すみれさんの体験

テキスト『小閑雑感Part7』頁237より
 【教典への愛】
   雅宣先生が東京大学の駒場博物館へ「トーラの成立からユダヤ教へ」という展示会へ行かれての話
  ユダヤ教の成立の軌跡をたどる展示会であった

   この文章には「トーラの写本」(日本的にいうと写経)の芸術的美しさと、ユダヤ教に関する記述につ    いて書かれている。
      ユダヤ民族の人々の、教典への愛と傾倒(思い)の深さがその写本から感ずることができる。
中でも印象に残ったトーラの写本を見ての印象を述べられている。
   「トーラ」とは、モーセ五書とよばれている。ヘブライ語で「教え」という意味
    モーセの5書とは・・・ 
   『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』である  
    ユダヤ教の根幹をなす最重要教典とされる

       その写本は芸術的で、鮮やかな色を使い装飾文字を多用し、押絵なども加え丁寧にペンで書写さ     れている。 誰にでもできるというものではない。
 トーラの写本(写経)の美しさ〝人々の教典に対する愛と傾倒が見いだされる〟

   さらにもう一つは、「タルムード」「ゲマラ」の文書について・・・トーラの解説書 
       中心部にトーラの言葉、その下や周囲に翻訳や注解が囲み、その周りを後代の人々の注解が囲む
    〝教え〟を中心にしてそれを実際生活にどう具体的に反映させるかという人々の努力の跡がすべて
   の文書に残されている。
       「原理主義的な解釈が永続する傾向が生まれるのではないかと感じた」と感想を述べられている。

地方講師受験のための資料作成委員会

委員 岩崎芳久
〝写 真〟 〝動 画〟
 テキスト『小閑雑感Part4・8』
 テキスト『小閑雑感2008年1月23日・2008年1月11日』

 【ポイント】
   何事をするにも「愛」をもってなさねばその事柄には「魂」がはいらないのである。
      愛を表現する時、人々に感動を与えるのである。
書を書いては、書道となり、花を活けては、華道となり茶を淹れてはは茶道となる。
    動画や写真も同じ事である。
      出来上がった、動画や写真は、被写体となる物を写(撮)す時に、その人が感(観)じたもの、例え      ば大自然の美しさ等が、動画や写真に表現されている。
      感じたままに、そのままを表現をすれば良い。

   インターネットを経由した動画サイトを利用して、迅速に情報が全世界に発信できる時代となり
     つつある。

  【解 説】
 『小閑雑感Part4・8』
  【横浜との縁・芸術は自然の模倣?(1)(2)(3)・生光展はじまる(2)】

 『小閑雑感2008年1月23日・2008年1月11日』
  【東京に雪』『動画サイトをどう使うか】
     近年、動画サイトの成長ぶりは目覚ましく発展をとげている中、視聴者が時間や場所に拘束されず、   好きな時間に家庭や職場で手軽に視聴できる様になってきている。また、国境を越えてこの様なこと    ができる時代となりつつある。
   この媒体を大いに利用して国内はもとより、世界に向かってより迅速に宗教のメッセージを発信     出来る時代である。教団内部の情報伝達もこれを使うべきである。
      【東京に雪』の動画を紹介されている

                                    以上

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