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2008年4月

生長の家の信仰について

合掌、青年会の学習会で、A,Yさんより素晴らしい発表がありました。レジュメをいただきましたので、掲載させていただきます。地方講師の方々のご参考にして下さい。 *尚、写真は、「出雲路の花」です。H、N

Photo 「生長の家の信仰について」より(A.Yさんのレポート)

何を信ずるか
この現象界には目に見えない「心の法則」がある。それは「業の法則」とも呼ばれる「因縁果の法則」である。即ち原因(因)があり、それに縁(助因)が加わって、結果が生ずるという「法則」だ。ことに業は本人の過去世の業や先祖の業も加わるから、現在意識では何が因で何が縁なのか等分からないことが多い。

だから現象世界では、分からないことが一杯である。明日何が起こって次に何が起こるのか分からない。逆にわからないから面白さがあるともいえる。このような現象世界に行きながら何を信ずるかで人生が変わってくる

確実なことは「真理」を正しく自覚し、完全円満なる「絶対神」を信じ、善(神意)なる愛行をなすという“善業”を積みさえすれば善果が得られるということである。

無限次元の世界
とにかく人はどこまでも「明るく生きる」ことが大切である。何故なら、人は皆“神の子”であって全てのものが与えられずみだからだ。しかも「なくなる」ことがないのだからこんな有難いことはない。ところがその実相世界に気づかず、現象世界というこの世の物質的側面ばかりを見ていると、不幸や、病気や、欠乏や、争いが目に付いて、どうしても憂鬱になってしまう。だから「物質世界は本物ではない、影の世界だ」と知らなくてはならない。

物質界は縦・横・厚みの三次元世界であり、実在界、即ち「神の国」を三次元の尺度でとらえて、そのように感覚するだけの「影の世界」なのである。これに時間の尺度を加えて四次元の“時空間”を考えると、時間の次元が一つ加わっただけ、より自由になりゆとりが
できるものだ

四次元世界の例え
あるカメラを買おうと思って店に行ったところ、在庫がないという。しかし問屋に注文すると1週間後には入荷するという場合を仮定する。カメラという三次元物体は今はないが、そこに時間(1週間)を加えて考えると「カメラを手に入れる」という自由を得ることになる。

 このようにして四次元、五次元、六次元と次元を加え続けて、無限次元まで遡ると無限に自由な世界、即ち「神の国」に達する。これを実在界・神の国ということができる。この実在界・神の国からみると、この物質界はその三次元的「影」の世界であるから極めて不完全なのは当然であろう。

不完全さをより少なくするには、「実在界を心で観ること」に熟達するに限るのだ。するといかに物質世界が不完全で限定され、悪条件に満たされているようでも、その条件を克服し、そこをうまくすり抜けて、自由自在な「安全領域」に達することができるのである。

そのままの心
 生長の家信徒行持要目第二項には『そのままの心を大切にすべし。そのままは零なり、一切なり、○なり、円満なり、無礙なり、無限供給なり、調和なり、病なきなり、一切の不幸、災厄、病難はそのままをはずしたるときあらわれるなり、顧みてそのままの心に復るとき、一切の不幸は滅す』とある。

この「そのまま」とは、何もしないでポカンとしていることではない。又「無為」とは「自然法爾」である。即ち「真理の実践」といえるであろう。そこにはタバコや酒におぼれる姿もなく、親子喧嘩や夫婦喧嘩もない。だから「無礙」(引っかかりがない)であり、ひとりでに「無限供給」ともなる。

  自然法爾について 
①信仰生活とは無用意の生活ではない。すべてに於いて完全に用意されている生活である。凡そ信仰生活ほど完全に用意されている生活はない。それは心が完全に用意されているだけではなく、物質にも完全に用意されている生活である。物質は心の影であるから心が完全に用意されているとき物質も必要に応じて完全に与えられるのである。
しかしそれは『明日の用意をするな』ということではない。信仰生活とは冬が来てから綿入れを縫えというような生活ではない。秋から冬に要る綿入れを縫うておいても、それは『取り越し苦労』ではない。心が整えば秋から冬に要るものがちゃんと判って、自然法爾(ひとりで)にその要るものを用意したくなるものである。
野の鳥も卵を産む前に巣を作っても小鳥は取り越し苦労をしているのではない。

②よく「備えあれば憂いなし」というが、雨戸の鍵も掛けず、門や玄関の鍵もしめず“そのまま”にして眠るのが自然法爾ではない。
                                     以上

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生長の家について(4月)A講師

Photo_25 「生長の家について」(若い白鳩の学習会)のA講師のレジュメ 平成20年4月用

生長の家の出現については毎日の普及誌生長の家インフォメーションに書かれています。
生長の家は谷口雅春先生によって創始されました。
谷口雅春先生は長年にわたる求道と精進の末についに宇宙の真理を悟られその真理を伝える雑誌の発行を念願されました。
昭和5年に発刊された「生長の家」誌は多くの読者の運命を好転させていきました。
「人間神の子」であるという真理です。
「人間神の子」の真理に目覚めた人々がその喜びの輪を広げるために全国各地に読者による組織が結成されました、その後生長の家の法燈は谷口雅春先生~谷口清超先生、谷口雅宣先生に継承され、現在日本国内にとどまらず北米、中南米、欧州、オセアニア、アジアの世界各国に築かれつつあります。
真理の書は沢山ありますが「生命の実相」全40巻がもとになっています、これを読めばよく判りますが、今日は
・生長の家とは如何なるものか
・生長の家の信仰について
・心でつくる世界
   をテキストとして10分間という時間を与えられましたので時間内にまとめましたところを訪させて頂きます。
生長の家の信仰についてを使わせて頂きます
 はしがきに、谷口雅春先生は「生長の家」の創設当時に「生命の実相」全40巻をお出し下さった

第7巻で「朝の時間を生かせ」と書かれ「生命の実相」の大部分は朝の1,2時間に書かれた
私も、生命の実相、第7巻を開いたのが初めてでしたが、ちょうど母から借りて黒表紙でしたので7巻と分からなかったのですがこの「朝の時間を生かせ」から読み始めとても感動しましたちょうど目が覚めたのが5時でしたから夢中で読んで気がついたら7時、子供を学校に行かせなくては、とあわてて朝食の用意に取りかかりましたね。
第一章、唯心実相の信仰
  二章、唯心所現の世界
 三章、万教帰一の真理
 四章、自然法爾の生活
    でこうせいされています
生長の家の真理は
  縦の真理と横の真理から説かれています
 この世に生まれてきて何を学ぶかというと人間とはどんな者か、人間はすばらしいと云うこと、
宗教的に云うと人はみな仏様であり、神の子だと云うこと、生長の家では「人間は神の子である」という真理たての真理、織物で云うとたて糸ですね

横の真理、唯心所現、心で思う通りの世界が表れる、心の持ち方によって、色んな人生が作れる 織物で云うとたて糸に色々な心の糸を織り込むと色々なもようが出来る

肉体なしと教えられますね
生長の家の信仰についてのP12
肉体は霊や魂の着物のようなものに過ぎない
甘露の法雨に記されている 神の子を自覚することがとても大切
肉体の死滅を以て人間の死となすなかれ
生命は生き通しであると教えて頂いています
P38心理を正しく自覚し
P53生長の家では「神が一切のものの造り主である」と説かれています神の造り給うた世  界は善一元ですが
  現実にはドロボウも悪いことをする人もいるこれは”現象界”と云って「神の国」の  実相界 実相世界の
P57 現象では色々なことがあり見えるけど現象は仮の姿

  唯心所現の世界P73 思った通りになる、心がつくる世界ですね 唯心所現P84
  人間はすべて肉体を持って生活している、肉体は時間の流れで刻々変化している、病  気も現れであって本当は無い 本当の相、実相は病ナシなのだから治りたいと思うの  は元の姿にないたい、元は完全円満だからです
  一番変えたい所 実は心です
  P105悪しき事、好ましからざる事
生長の家は万教帰一の真理です、これは生長の家とは
  生長の家は人生社会・・・一切の**を含んだ愛の教えであり
  更に現象なし

万教帰一とは仏教、キリスト教、神道すべての教えの神髄は
一つであると説く超越した宗教です
神髄は富士登山の如く登りはそれぞれ違っても一歩一歩頂上
をめざし自らの脚を持って登る、そこにより広い視野、真理の
全貌が開けてきます、登山には頂上がありますが、信仰生活に
は終着点はありません 谷口雅春先生も永遠に道を求める者
であると云われています
生長の家七つの光明宣言、生命の実相第一巻にも書かれて
いますが 宗派を超越し・・・

生長の家が本当に判るには生命の実相全巻熟読し生活実
践することです 神誌、聖典を読み正教読誦
神想観、愛行、三正行をする事と教えて頂きます。
                                    以上

*写真は、「スイカ」です。H、N

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生長の家について(K地方講師)

Photo_24 若い白鳩の学習会のK講師のレジュメ  平成20年4月用

「生長の家の信仰について」

唯心実相の信仰
 「人間とはどんな者か」
P12 人間の真性は霊なる生命→「神の子」「神・仏」の自覚大切
     肉体は霊の着物であり円満完全な存在→実相
P18  現象人間は病気怪我→「実相を包み隠す」→「罪」
  「罪」を解放するのは「真理のコトバ」

P27 「何を信ずるか」でその人の人生が変わる
    一番確かなことを信ずることが大切
P34 正しい信仰を持ち、現象に引っかからず、愛と智恵とに満たされた
  「神の国」の実在を信じ行じて行く人には幸福と平安な生活が実現する

P37 「心の法則」―現象界
    「業の法則」「因縁果の法則」
            原因(因)があり、それに縁(助因)が加わって、結果(果)が生ずる
      "業"は本人の過去世の業や先祖の業も加わるから現在意識で
      分かりうる範囲ではない。
   「真理」を正しく自覚し完全円満なる「絶対神」を信じ、善(真意)なる
   愛行をなすという"善行"を積みさえすれば"善果"が得られるという
   法則は確実であるから現象の一時的変化に引っかかることなく
   善き行いを明るい心で実行する

神の国を観ずる
P40 無限次元の世界
  「物質世界は本物ではない、影の世界」
    物質世界は縦・横・厚みの三次元世界
P41 四次元の世界―三次元に時間の尺度を加える(時空間)
   この様に四次元、五次元、六次元と次元を加え続けると
   無限次元の世界→無限に自由な世界、即ち、「神の国」に達する
   「神の国」→「実在」であり「実相」である
P42 「物質世界」→不完全な「影」の世界
   この不完全さをより少なくするには「実相界を心で観ること」に熟達
   するに限る、すると自由自在な「安全領域」に達することが出来る。

P47 神想観→神と神の国を観る
       実相の完全円満を観る(すでに与えられている)
P48 感謝 親に感謝
          先祖に感謝を怠ると子孫の実がうまく実らない
     (樹木に水や肥料を与えるように)
神の子の自覚
P58 現象の否定と実相の肯定
  「現象の否定」―「現象は仮の姿、仮の姿は虚の姿、虚の姿は在るように見えても    無いのである」
  「実相の肯定」―「ただ在るものは"実相"だけである"実相"は神の子である」
          (実相独在)

唯心所現の世界
  運命とプラス・マイナス
P75 三業―行が重なって業
   身(行動)・口(言葉でいう)・意(心で思う)→コトバ(行)
   人生は「三業」で作られる(「思うとおりになる」「思った通りになる」)
   人の心は「現在意識」と「潜在意識」がある。
P76 「フト」とか「思いがけず偶然」―「潜在意識」(奥に隠れている心)
   潜在意識のさらに奥には人類に共通した「人類意識」
   さらにその奥に「超絶意識」という「神の心」がある
   神の智恵の部分には火水、即ちプラスとマイナスの原理がこめられている。
   「+」の働きは心では「与える心」となり「-」の心は「受ける心」となる
   「与える心」と「受ける心」とは両方とも大切である。

 善悪について
P78 「悪い事をしている」と自分の中の隠れている「善の心」がそれを知っていて
   "自己処罰"をする→事故や病気(神が処罰するのではない)
P81 ドラマを作る (読売新聞の投書より)

P85 唯心所現
  心が全ての肉体や環境を作り出す"主人公"だから一切の現象は
  心が起こしたもので心の顕現である。

  因縁果の法則
P99 善因善果、悪因悪果
P101 「観世音菩薩を称える祈り」(聖経・真理の吟唱)

P105 P106「あらゆる宗教の本尊は名称は異なれども本体は」尽十方に満つる
      神の大慈悲のあらわれである、だから万教は一に帰するのである
      生長の家の礼拝の本尊は観世音菩薩なのである」

万教帰一の真理
P128 道について
   「道」は実在であり神であり不死不滅の「何者か」である。
    これを「実相」と言う。
   「道」は「真理」であり「人倫の道」であるからこれに従うのが人間の務め
    であり、これを伝え、また行うのが"全人類のあるべき姿だ"
P145  生長の家は"万教帰一"だ、しかしこの教義は「どんな宗教を信じてもよい」
    と言うような事では断じてない。
    「万教帰一の神示」
    「・・・全ての教義に流れ入りて生命を促ん、・・・全ての教えを呑吐して
    これに生命を与え、すべての桐争子教をその眞髄に於て握手せしめる、
    吾はすべてを乞容し、全てに光りを与え、すべてに業芬を与え全てを生かす
    地下水である」(後略)
P155  人間の社会や国家は経済だけではなく、文化や道徳、そして正しい宗教の
    進歩向上がなければ永続して発展するものではない。
    道徳と宗教は直結しているからである。
P156  多くの正しくない宗教は何か執着心を持って「あれが欲しい」「これを下さい」    という方便や手段として神仏を礼拝するか、却ってこれが多くの人々の心を
    惑わし苦しめ、失望させているとも言えるのである
P162  一即多
     「無一物」=「無尽蔵」(一見正反対のようだが窮極においては「一」である)          即ち「一即多」の"神意"が現戒する。
P163  渾てが「一」であるのが実在界だ。この実在界は社支や差別を之う言葉
    では表現することは不可能である。それ故「無」から「有」になる現象界
    に入ると、「多」と言わざるを得なくなる。即ち「一神」が「多神」として礼拝    されたり祭られたりするが、そのような区別を論じ立てて争ってはならない、
    "自然法雨""そのまま"がよろしいのである

P164  恩を知ること
    「理屈」のみに走らず「愛」や「恩」や「感謝」などの心の領域を
    全うするのが「道」である。すると"自然"に現象界の全ても適当
    に整って来る、そこに「真理」の偉大さ、「神の国」の理念が
    ありうると言える。
P176  どうてしも"一即多・多即一"という真理が判らなければ世界平和は
    来ない。一切の生命は"一即多"であり"多即一"である。
    多く見えているけれどもそれは"一"であり"一つ"であるけれども
    それは"多"である。
    真理はすべての神は"一"であると同様に"多"であり"多"の姿
    に化身または方便身としてあらわれるけれども本来"一"である。
    また34億の人類は34億であると共に同様に"一つ"の神の
    いのちである。それが判らなければ、世界の平和をいくら叫んでもバラ
    バラに別れて平和は来ない。それが解るのが日本民族である。

自然法雨の生活 
P181 "当たり前"がありがたい
幸福になるには
「心の幸福が本当の幸福」より(谷口雅春大聖師)
・・・幸福とは個々の事物にあるのではなく、その人の心の状態に
   あるのである。心の幸福な人は常に幸福な人である。
P187  ただ「当たり前」そのままでいるのが一番有難い。
   その「当たり前」こそが本当の姿である
・・・
異常理念はすべて病気の一まえである、人間の心が自然に還ればなほるのである。異常現象のなかに神があると思うな。
そこには好奇を喜ぶ不自然な心があるばかりである。
    異常な心を去れば病気も貧しさも治る。当たり前の人間のほかに神の子はない。p196 自然流通
    自他は一つである。『生長の家』は自給他足、他給自足、循環してとどまらず、    大実在の無限流通の有様を見て、その有様の如く現実世界を生きるのが現実界
        『生長の家』である。                                以上

*写真は「郷里四万十市の夜景」です。H、N

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4月度地方講師・光明実践委員研修会

                                                   Photo_23 cherryblossom4月19日(土)地方講師・光明実践委員研修会

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山本恭子講師 体験発表

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Photo_15 長野充子講師

 白鳩誌友会発表

 「ほめて伸ばす子育て」

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 中内英生教化部長講話

 「日時計主義を世界に」

Photo_17 七つの光明宣言のポイント解説

 炭素ゼロの考え方について

 法燈継承について

Photo_19

Photo_20

note「使命行進曲」大合唱notes

Photo_21 「万歳三唱」

 

ご参加ありがとうございました。5月の研修会は17日(土)午後からは総会です happy01

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肉食抑制の理由について

Photo_2  問…肉食が人体および社会や環境に与える問題点を指摘し、人類にとって肉食を抑制することが、現代に宗教的良心を生かす道であることを説明せよ。
(『今こそ自然から学ぼう』179-205頁/副総裁先生「ブログ」2006年7月5日・10日・13日・14日・15日)

【ポイント】
*栄養としては肉食は無くても生きられること。古来からの宗教には、「殺すなかれ」という戒めがあること。牛肉を得るために、沢山の穀物を与えなければならないので、森林を伐採する必要があり、環境破壊につながること。同種の穀物が多く栽培されるので生物多様性が破壊されること、などである。
 私たちは神の子として、愛深い倫理的生活をする必要がある。それには、肉食は不要である。

【キーワード】
①生命多様性 ②森林伐採 ③他を冒さない生活

【解説】
*肉食の問題に合わせて、地産地消の考え方がでてきている。外国から輸入すると、二酸化炭素排出が多くなるからである。
*他を冒さない生活が宗教的かつ倫理的生活である。
*「いのちの食べ方」という記録映画もある。参考としてご鑑賞ください。
*ベジタリアンという言葉にも、色々な段階のベジタリアンがある。

【解答例】
 我々の「肉食」の嗜好と食肉生産の方法は、「人間らしい生き方」を犠牲にして成り立っている。
 なぜなら人間は、動物を殺すことに抵抗を感じる心をもち、それは、動物その他の生物の命をいとおしむ心から来るもので、人間でなければ持てない高度な認識作用にもとづくものである。つまり、他者への感情移入能力がすぐれて人間的な心の特徴なのだ。だから、屠殺場へ曳かれていくウシが恐怖で小便を漏らすという事実を「無視する」のではなく「追体験する」ことが人間らしい生き方と言える。

 我々は「単なる消費者だから」という言い訳で「知らずに犯す罪」の大きさに目をつむってはならない。食肉生産の現場に“動物残虐物語”が満ち満ちている―「正しい知識」を普及する必要がある。食肉の色や価格のために、体を舐めることも出来ない飼育方法、水も与えず特殊ミルクのみ、多量の抗生物質の投与、暗闇で鎖につながれたまま・・・・・等々「どうせ殺すから、どんな方法で飼育してもよかろう」と考えることは出来ないはずだ。たとえ、食肉産業や食品メーカーに好まれなくとも、事実を糊塗したり、美しく飾り立てたりすることは、被害を―ひいては人類全体の罪を拡大することにつながる。

 その一断面がイギリスでの悲劇―口蹄疫という伝染病の感染拡大を防ぐために、健康な家畜を大量に含む24万頭が実際に殺されたという。
 畜産品生産のために、広い土地に数種の動物を大量にまとめて飼い、生物多様性の少ない環境を作ったことでウイルスが急速に増殖することとなり「知恵」のあるはずの人間が「愛」のない行為を無理やり遂行したということをみせつけられた事件である。

 さらにエコロジーの視点からも肉食(特に牛肉)を避けるべき理由がある。それは現在、家畜、家禽、養殖魚の飼料原料に人間と同じ穀物が大量に与えられていることである。
 具体的には、動物の体重を1キロ増やすのに、ニワトリは2キロ、ブタは4キロ弱、ウシは7キロの飼料穀物を必要とする。
 そしてその飼料の多くは発展途上国から輸入され、先進国での牛肉の需要が増えれば増えるほど途上国での自国民用の畑地が狭まり、森林伐採が行われることになる。

 大量の家畜の飼育は、大量の糞尿の廃棄問題、水質汚染、大気汚染という環境汚染問題を生じさせる。また、家畜の腹から出るメタンガスの量は、地球上の全発生量の二割を占めるという試算もあり、二酸化炭素以上の温室効果をもたらす。最近の読売新聞の記事には(仮想水の量として)牛肉を使った食事メニューが大量の水を必要とすることをとりあげていた。肉食は地球資源の浪費であり、飢餓拡大や予測できない自然改変につながる。それ故に、牛肉の消費を抑えるだけで人類の食糧問題の大部分が解決できるかもしれない。私達は日本の伝統である和食の優れている点にも改めて想いを馳せつつ、理性や良心の判断で欲望を調節し、肉食忌避という宗教的良心を生かす道を選択したいものである。                                         以上
*写真は、「庭木」です。何でしょうか?H、N

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法燈継承の意味と制度

Photo  問 生長の家における「法燈」の意味を説明し、現行の制度では「法燈継承」が何時どのようにして行われるかを述べよ。
(『歴史から何を学ぶか』148-179頁/『信仰による平和の道』179-197頁)

【ポイント】
①法燈継承の重要な点は、副総裁先生が「副総裁」のお立場に着かれた時に、既に法燈は継承されたということである。それは、「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教え」にありますように、総裁先生と副総裁先生とは御一体であるが故であると拝察申しあげる次第であります。

【キーワード】
①法燈の二つの意味
②面授
③地方講師は中心帰一の真理を生きる。

【解説】
 総裁先生・副総裁先生に中心帰一する地方講師の重要な信仰姿勢が問われています。常に、己を無くして、神の御心をお受けするという心の姿勢を作るために、神想観を厳修する必要があります。地方講師の辞令は、総裁先生からいただいたものであることを、片時も忘れてはなりません。

【解答例1】解答例は模範解答ではありません。解答の一例です。

1.生長の家における「法燈」の意味は以下の二つである。
①真理(久遠を流るるいのち)そのもの
「生命の實相」の本当の著者、釈迦、キリストが把握したもの。
②法燈継承の位(総裁の位置)

2.法燈継承者(中心指導者)の不可欠性と理想
◎最高指導者にふさわしいのは次の要素を持つ人である。
(1)悟りが正しく深く、表現能力が勝れていること。
○無形、無限なる真理(法燈)を有形の言葉や観法等を媒介として有限の現象界で人に伝える。
(2)教義の正否を判釈し得る力があること。
○他の布教者が宣布する場合、時代、文化、文明の変化に対応して説法も変化させる必要があり、各布教者によって見方、判断が違って、幾通りもの教義ができると教団が分裂してしまう。
○ある教団が「久遠を流るるいのち」を正しく継承して、全世界を救い続ける使命を果たすためには、時の流れを正しく見極めて、教義の何処をどのように変革すべきか、変革すべからざるところは何処かを明確に判釈しなければならない。…時代に適した新しい教え

(3)先師から弟子一名に対して行われる法燈継承であること。
○かりに複数の中心指導者が存在し、判釈に相違がある場合、教団は内部対立の抗争、分派、分裂に到らざるを得ない。
○後継候補者の力を見抜く役割を持つのは、先師をおいてほかにないことから、選任は面授によって行われるのが最勝である。
○「継承」とは、先師の一言一句をその通り、くり返し伝えるのではなく、教えの神髄の“不立文字”を伝えることであり、「教義の展開」としての運動面においても同様である。

3.生長の家教規について
昭和26年9月9日に「生長の家教団教規」が制定され、第八章、第十条及び第十一条に生長の家総裁の法燈継承について明文化している。この条文は以後数回の改正を経て、現総裁が面授によって次期総裁を決定されるという法燈継承の理想形が実際に行われている。
☆尊師谷口雅春大聖師が昭和23年12月教主を辞任なされ、同時に谷口清超先生が教主に就任されました。(上記昭和26年の教規の第八章にある通り、既に教主であられた谷口清超先生が法燈継承者であることを明文化されています。)第八章の“教祖及び教主”は、昭和32年3月改正後“総裁及副総裁”と改められ、谷口雅宣先生が副総裁に就任なされた平成2年11月の秋季大祭の時に法燈継承されたというのが正しく、また公に発表され、制度化されたありがたい理想の姿でございます。
                                     以上

*写真は、菜の花の小山です。H、N

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炭素ゼロの考え方とは?

Photo_2   問 本年度の地方講師会運動方針では<「平和・環境・資源の問題解決への貢献」として、我らは本年度より“炭素ゼロ”運動をスタートさせた。>とあるが、“炭素ゼロ”の考え方を説明し、平和・環境・資源の問題を解決するために最も重要なことはなにかを述べよ。
(『機関誌』3誌平成19年4月号「2007年度運動方針」/『足元から平和を』48-100頁.198-215頁)

【ポイント】
①光明化運動に於いて排出量を削減するが、できない分を相殺する。
②風力発電、森林育成などを導入して相殺する。
③人間中心主義、利己心を改める。
④神の御心を生きる他を冒さない生活を実践する。

【キーワード】
①質の高い運動
②法施と物施
③環境、資源、平和が関連

【解説】炭素ゼロの考え方は、現在の世界の最先端の考え方です。自分でも意識して二酸化炭素排出の削減につとめましょう。また、正確な計算はできないですが、簡単は方法としては、聖典類の購入の時に、グリーン電力に寄付する方法で相殺することもできます。環境・資源・平和の関連性は、北極海の資源をめぐる各国の利権の衝突などで明らかになってきています。理論の正しさを確認し、世界平和を招来するためにも、環境問題に取り組み、資源を無駄にせず「足るを知る生活」を率先して行いましょう。

【解答例】 地球温暖化等の環境問題は、今後重大な混乱が予想される程に深刻化しているので、生長の家では本年度も環境に配慮した生活実践を進め、広く啓発活動を行う。
 その具体的取り組みとして、生長の家の教団活動全体から排出される二酸化炭素の排出量をさらに削減するとともに、森林の育成や自然エネルギーの導入などによって、残りの排出量を相殺し、実質的に“ゼロ”に近づけることを目標に掲げた。
 そうすれば、伝道活動を盛んにすればするほど温暖化ガスが排出されるというジレンマを解決することができる。
 このためには、全国の教化部会館等の施設において排出削減を行うだけでなく、それらの施設を利用する際の交通手段も考慮に入れる等、運動形態の見直しも視野に入れなければならない。
 ―地球環境問題は、人類が今日直面しているもっとも困難で、しかしもっともやりがいのある課題であり、私たちは「質の高い組織運動」を実現するために、生長の家の教えを伝えることによって、世界人類が地球環境に負荷を与えない生き方をするよう積極的な啓発活動を展開しなければならない。真理を宣布する「法施」と温暖化防止への取り組みなどの「物施」を実践する為に私たちはより深く知り、一人ひとりが決意し、行動すれば、この大問題の解決に寄与することができる。
 まず“知る”―「環境」と「資源」と「平和」が密接に関連し合っていることに気づかなければならない。
 生長の家は「世界の平和を目指す」のだから、皆つながっている環境問題も、現象的に生きていくための資源の問題も考えなければならない。現在のような大量消費、大量廃棄の生活スタイルから、地球環境に害を与えない生活法を人類が開発し、実行しなければ紛争や戦争がますます頻繁に起こることになる。あとわずかで使い尽くされる化石燃料に頼らない経済へ早く移行することが大切である。谷口雅宣先生は、太陽光発電や風力発電の有望なることは唱えられ、実際に1998年から御自宅の屋根に太陽光発電パネルを設置された。先生は、「今できるところからやらないと遅すぎる」という危機感をもって始められ、現在では、谷口清超先生の総裁公邸始め、各練成道場や教化部、信徒の個人宅など、多くの人や団体が同じ心で動き出し、賛同と協力により素晴らしい貢献をしている。「個人」という狭い視野ではなく次の世代のための発電という考え方は、「私たちは一人で生きているのではなく、また、日本国だけで生きているのでもない」ことに通じる。―つまり、神の御心は“人間はみな神の子であって、尊い使命をもって生まれてきているのだから、できるだけ犠牲のない世界を実現すること”地球全体を見た貧富の差にも注目し、「貧困層の側からの自然破壊」と「富裕層のムダ遣いによる自然破壊」を学び、「人から奪わない、環境を破壊しない、生物を絶滅させない、神の御心ができるだけ反映されるような生き方」を私達一人ひとりが自ら始め、またさらに推進し、あらゆる活動の中で多くの人々に伝えていくことが重要である。
                                      以上
*写真は、「帆船の模型」です。H、N

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七つの光明宣言のポイント

「七つの光明宣言のポイント(H、N)

*生命の実相の自性円満を自覚すれば大生命の癒力が働いてメタフィジカルヒーリング(神癒)となる。自覚が大切である。
*生長の家の目的は、「人類の思想中よりその転倒妄想をさらしめ人類生活の全面を光明化することである。現在は、目的がもっと明確になり、国際平和信仰運動として、国家間の平和を目的とする。しかも、唯一絶対の善なる神への信仰を人類に伝えるとしている。当然のことながら、人類生活の全面が光明化される。

①宗派を超越する→万教帰一が説かれている。
*自分が生きているということは、自分が生命であるということである。
*生命を礼拝する→自分自身を敬い拝むことである。すべての道徳生活の根本である。自分を拝めると他人の生命も拝めるし、元の大生命をも拝めるし、逆に大生命の法則のままに生きることを念願するようになる。
*生命の法則に随順して生活する生き方を全人類に及ぼす。

②生命顕現の法則とは、生み生みて成長さす(生々化育)ということである。
*生命の法則は生長することにあり、退歩することにはない。「生命の法則」に適わない者は生命の世界に於いては落後することになる。
*生存競争、優勝劣敗の現象は、決して悪いことではない。「生命顕現の法則に最もよくかなうもののみが最もよく生長する」という厳とした法則によっておのおのの「生命」は宣告されている。
*生命が生き通しであるという二つの意味。一つは、個性生命が大河に帰り、個性生命を認めない。もう一つは、特性ある霊魂の不死を認める考え方であり、生長の家は後者を取る。霊界通信の事実によって証明できる。
*それ故に、何が起こっても感謝で暮らすことが出来る。

③苦行は悟りの因にあらず。心の向け方を変えることで悟りを得ることができる。
*悟りとは大自在境である。
*阿弥陀仏となった法蔵菩薩やイエスキリストを使わせて修行をしたのは、人類にそんな苦しい修行をさせたくないという大生命の御心であり、生長の家はその御心を受け継いでいる。
*霊感によって書かれる御文章

④生命の糧は愛である。
*愛を実現する言葉の創化力は、祈りと愛語と讃嘆である。
*大生命の愛が生きた肉体を備えて目に見え手で触ることができるように現れてきたのが両親の愛である。だから、父母の愛は神の愛である。父母の愛に感謝することが必要である。
*「大調和の神示」に、「汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝しえない者は神の心にかなわぬ」とある。
*愛語(やさしきことば)も讃嘆(ほめことば)も「言葉の力」であって、善を造る力なのである。

⑤人間は神の子であり、無限の可能性が内在する。
*言葉の創化力を駆使して、大自在の境涯に達することができる。
*救われると云うことは、大自在境に達することであって、のらくら遊べる遊里のちまたに置くというような救いようではない。
*宇宙の一切は言葉でできている。言葉とは、リズム=波動である。
*実践生活の上で、運命を左右する言葉は、「思念」「発声音」「表情」である。

⑥善き言葉の創化力で人類の運命を改善するために、善き言葉の雑誌や聖典を発行する。
*人間の生命の生長には、必ずしも苦痛が必要ではない。
*苦痛は、生命が生長の本道に乗っていないことを教えてくれるために現されている。
*「生長の本道」に乗った生活を知らせることが急務であり、人類の人生苦が消滅する。
*生長の家の月刊誌を、月々発行して言葉によってこの世を浄め、人生を住み良くし世界の家庭家庭を明るくし、個人個人を幸福にすることは、生長の家の主要な事業の一つである。
*言葉の力で心を磨くべきである。
*繰り返すことが大切である。
*大した理由もないのに腹立たしいのは、他から放送された不快な感情波動を自己の頭脳に受信している場合がある。それを防ぎ止めるために、良き聖典で心を調律する必要がある。
*真理の書籍を読むと、迷いの自壊作用が起こり、一時沸騰現象が起こることがあるが、その後良くなる。
*幼児の場合は、分かって読む人の念波が感応する。

⑦「正しい人生観」と「正しい生活法」と「正しい教育法」で人生苦を克服する。また、*地上天国建設のために実際運動を起こす。
*過去世において悪業を作った人間の霊魂が苦行によって罪の消滅をはかるために、ことさら不治的悪疾を肉体に現している場合も多い。それを治す唯一の道は、「罪は本来無い。*生命は神であるから苦行しなくともそのままで完全であり円相である」との真理をその人の奥底の魂に自覚せしめるほかにはない。
人は環境によっても病気を起こすので、環境をよくすることも必要である。
*将来、この世界に病気その他の不幸をなくするには、縦には、未来世に病気、その他の不幸の芽を出す業因を蒔かない工夫をしなければならない。すなはち罪を犯さなくてもこの世に生きられる工夫が必要である。
*横には、現在我々が接触する環境を浄めて、生命が苦痛や病気という手段を使って自衛を講ずる必要のない天国浄土のような環境を作るようにしなければならない。
*就寝前の10分間の神想観が大切である。                以上

*写真は、「紅葉」です。H、NPhoto

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生長の家について(4月)

Photo 「生長の家」について(平成20年4月)                         文責…中内英生

【教義面】

①縦の真理(人間は神の子)P8

②横の真理(三界唯心の所現)

③万教帰一

【運動面】

①人類光明化運動(人類の思想中より転倒妄想をさらしめる)と国際平和信仰運動(唯一絶対の善なる神への信仰、目標は世界平和の実現、世界中が統一的に運動方針を実施する)

②生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教え

③組織別の運動展開(相愛会・白鳩会・青年会)地方講師会は組織の血液である。

*生長の家とは大宇宙の意味である。マークの説明
*P107生命の教育   生長の家教職員会 生命学園 母親教室 父親教室
*栄える会の運動
*環境保全活動に取り組む。(法施と物施)
*日時計日記記載運動
*「足るを知る」草の根運動
*先祖供養の重要性 P90
*神想観
*感謝の教え
*否定と肯定
*創刊号を紹介

*写真は島根の松ぼっくりです。                      以上

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「足るを知る」草の根運動の原点となる御文章2点

Photo_2        「足るを知る」草の根運動の原点となる御文章2点

①『小閑雑感』(平成19年11月22日のブログ)からである。”「足るを知る」という生き方”の現代的な意義のご教示である。

 私は、今日の地球環境問題の根っ子には現在の私たちの生活の中に、人間至上主義、とりわけ人間の欲望至上主義がある、と思います。人間は「神の子」ですから、人間が互いを尊ぶことはいいのです。しかし、それは人間の「欲望」を尊ぶことではなく、その奥にある「神性・仏性」を尊ぶのでなくてはなりません。しかし今日では、広告・宣伝活動によって「与えられていること」ではなく「欠けていること」を強調することで欲望を喚起し、市場拡大をはかる。製品の寿命を短くし、モデルチェンジを頻繁に行う。これでは、地球がいくらあっても足りないでしょう。昔から東洋では、「足を知る」という生き方が称揚されてきました。(中略)
 地球温暖化の進む二十一世紀にあっては、宗教的な意味をもった新しい”足るを知る”運動が、上から押しつけられるのではなく、草の根的に盛り上がっていく必要があります。

②さらに、「足るを知る」という言葉は、『老子を現代に生かす』の中の第33章、第44章、第46章にご解説が載せられている。次は、第44章のご紹介である。この聖典は、絶版になってはいるが、どうしても確認したいという方は、お申し出下さい。地方講師研究会にてご紹介いたします。

 多く蔵(オサ)むれば必ず厚く亡(ウシナ)う。足ることを知れば辱められず。止まることを知れば、殆(アヤウ)からず、以て長久なる可(ベ)し。

 この老子の原文についてのご教示は次の御文章である。
 何でも度を過したら亡びのもとである。足ることを知り、止まるところを知らなければならぬ。何でも多くあれば、得だと思っている人があるかも知れぬが、物は多くなればなるほど生命の自由を縛るのである。丁度それは飛行機の重量が重くなればなる程、速力が出ず、長距離飛行に耐えないようなものだ。多ければ厚く亡う。
 足ることを知らないことを貧(トン)と云う。仏教では貧・ジン(目扁に愼の右の字をつける。漢字変換ができない。悪しからず)・痴を三毒と云って、人間を罪に陥れる最大の毒物であると云われているが、その中でも『貧』すなわちムサボリを第一に置いている。それほど貪りは悪徳である。一度貪りはじめると、塩水で渇を医(イヤ)すがように飲まずにはいられないし、飲めば飲むほど咽喉(ノド)渇きを覚えるのである。そう云うように欲の深い者は、多く持ちながら、『欲しい、欲しい』と思っているから、心はいつまでも餓鬼道で貧乏である。そうして欲張って求め求めしている間に、辱(ハジ)も外聞も忘れて了(シマ)うのである。(同書、158~159頁。原文は旧漢字・旧仮名遣い)

 地方講師の皆様!島根県に於いて、組織の血液となって、「足るを知る」運動を草の根的に盛り上げて参りましょう。

*写真は、「ソファーの上の自然」です。H、N

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技能や芸術的感覚の誌友会の原点

Izumotaisha     技能や芸術的感覚の誌友会の原点

 合掌、有り難うございます。次に列挙するのは、「技能や芸術的感覚」に関する参考御文章です。各講師がそれぞれご研究下さい。青年会からの資料からの引用です。数字は頁数です。H、N

①料理(肉無し料理)ノーミート
『心と食物と人相と』75-78
『愛と光との生活』150-163
『新しいページ』134-139

②写経
『小閑雑感Part7』237-239

③絵手紙
『小閑雑感』2007年6月8日(絵封筒に出会う)
『小閑雑感』2007年11月9日、『日時計主義とは何か?』について
『新しいページ』の「はしがき」

④俳句・短歌
『新版真理第10巻』328頁
『小閑雑感Part5』16ー18

⑤写真
『小閑雑感Part4』157-159,244-254
『小閑雑感Part8』255ー265

⑥動画
『小閑雑感』2008年1月23日 「東京に雪」
『小閑雑感』2008年1月11日 「動画サイトをどう使うか」

⑦エコ生活
『今こそ自然から学ぼう』全文のようです。ポイントがあれば教えてください。
『美しい国と人のために』157-202
『小閑雑感Part3』247-251
『花の旅立ち』62

⑧植樹・植林
『今こそ自然から学ぼう』全文です。
『すべてのものは美しい』9-25

⑨ガーデニング
『小閑雑感』2008年2月7日、コンポストの土
『神様からのいただきもの』106ー115

⑩日曜大工(廃材利用)
『小閑雑感Part2』58、255
『小閑雑感Part4』198-200

⑪パソコン
『小閑雑感Part9』163ー168
『小閑雑感』2007年12月30日、2007年を振り返って(2)

*写真は、出雲大社の境内地にある小さなお社です。  H、N                                           

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